ホットミルクの魔法   (2012/01/25)

※ゲーム設定で、3へスーパーリンクした後の話です
※マキュアについて過去などいろいろ捏造しています。ご注意ください


 波の音が、聞こえる。
 鳥たちが新しい一日を歓迎して、歌っているのが聞こえる。
 誰かが、サッカーボールを蹴っているのが聞こえる。
 ライオコット島の朝の音だ。
 マキュアは、イナズマジャパンの宿舎「宿福」の食堂で、窓の外を眺めていた。起床時間までだいぶ時間があるため、チームメイト達は皆眠っているようだ。食堂には彼女以外誰もいない。外からは一日のはじまりの音が聞こえているのに、宿福の中は朝が来たとは思えないほどに静かだった。まるで、星たちが宿福の中の静寂の回収を忘れたまま、眠りについてしまったようだ。マキュアは窓際の席で頬杖をつきながら、起床時間までの時間を持て余していた。
 地平線よりもほんの少し高い場所まで昇った太陽が、島中に金色の光を降らせている。その光は、窓を通り抜けてマキュアにも降り注いだ。今朝は昨日までの朝と比べてかなり冷え込んだというのに、太陽の光はいつもと変わらず暖かった。太陽が昇る前の冬の訪れを予告するような寒さが嘘のようだ。その寒さのせいで太陽よりも早く目が覚めてしまったマキュアは、なんだか損をしてしまったような気分になった。夜明け前の冷え込み冴えなければ、いつものように起床時間まで寝ていられたのに。マキュアの中に、ぶつけるあてのない理不尽な不満がこみ上げてくる。
 しかし、寒さのせいで早起きを強いられてしまったことを除けば、今朝はとても素晴らしい朝に違いなかった。マキュアが経験した朝の中でも、トップクラスに入るかもしれない。美しい景色に、暖かい陽射し。静寂と潮騒の狭間にいるような感覚は、なんとも言えない心地良さだ。これは、通常時の騒がしいイナズマジャパンの宿舎では絶対に体験できないだろう。目の前のテーブルには先程作ったばかりのホットミルクがたっぷりと入ったマグカップが置いてある。ゆらゆらと揺れる白い湯気と、そこからほんのりと香るやわらかな甘い匂いは、この朝の情景にやわらかなぬくもりを与えていた。
 そして、この朝をもっとも素晴らしくしている要素は、マキュア以外の者たちが皆眠っているということだ。彼女以外の人間は、今朝がこんなに素敵な朝であることを知らずに、まだ夢の中をふわふわ漂っている。マキュアだけが、この光芒を放つ朝の中にいる。そのことが彼女には、誰にも見つけることのできなかった宝物を探し出すのと同じくらい素晴らしいことに思えた。
 マキュアは素敵な朝に酔いしれながら、テーブルの上のマグカップを手にとった。そして、甘い香りを少しだけ堪能すると、ホットミルクを飲んだ。
 おいしい。彼女は、思わず小さな笑みを顔に浮かべる。温かいものが飲みたくなって自分で作ったのだが、我ながらよくできている。このホットミルクは、お日さま園にいた頃からマキュアの得意料理だったのだが、イナズマジャパンに加入してから作るのは初めてだった。久しぶりに作るということでうまくできるか少し不安だったものの、そんな気持ちは不要だったようだ。そのホットミルクは、お日さま園で作るときと同じようにおいしかった。
 その時だ。突然、食堂の出入り口のドアノブを回す音がした。マキュアは慌てて時計を見る。素晴らしい朝を満喫しているうちに、あっという間に起床時間になってしまったのかと思ったのだ。しかし、時計の針は起床時間がまだ遠いことを告げていた。こんな時間に起きてくるのは誰だろうと思いながら、マキュアはまだ姿の見えない誰かに腹立たしさを覚えた。せっかくの素敵な朝を妨害されたような気がしたのだ。彼女は不快感を隠そうともせずに、睨みつけるようにしてドアの方を見た。
 ドアが開く。食堂に入ってきたのは、アツヤだった。食堂に人がいるとは思っていなかったのか、彼はマキュアの姿を見つけると少しだけ驚いたような顔をして、口を開いた。
「はよ」
「……おはよう」
 挨拶を返す。素っ気ない口調になってしまったのは、アツヤの顔を見ても腹立たしさを拭うことができなかったからだ。むしろ、その気持ちが増幅したような気がする。アツヤとはいつも口喧嘩をしていて、あまりいい関係とはいえなかった。昨日も、後になって思えば些細なことで言い争いをした。ほとんど毎日のこととはいえ、一日の最初に会うのが前日に言い争いをした人物というのは、なんだか気まずい。よりによってどうしてこいつが起きてきたのだろうと思った。そして、素敵な朝をこんな感情で邪魔されたことが、マキュアにはものすごく不愉快だった。
 そんなマキュアの気持ちに気付いているのかいないのか、アツヤはキッチンへ向かいながら、マキュアに話しかけてきた。
「早いな」
「そっちこそ」
「寒くて目が覚めちまったんだよ。本当はもっと寝てるつもりだったんだ」
 それをきいて、マキュアは驚いた。偶然とはいえ、アツヤも同じ理由で同じように早起きしていたとは思わなかった。
 返事をしないでいると、アツヤが再び声をかけてきた。
「これ、飲んでもいいか?」
 キッチンの方を見る。どうやら、鍋に残っている余りのホットミルクを発見したらしい。マキュアのマグカップに入り切らなかった分で、マグカップもう一杯程の量がある。朝食の後にでも温め直して飲もうかと思っていたが、今アツヤに飲んでもらった方が片付けも楽になるだろう。アツヤにお気に入りのレシピで作ったホットミルクを分けるのは気が進まなかったが、承諾することにした。
「どーぞ。マキュア、今はもう飲まないから」
 そう返して、マキュアはホットミルクを飲んだ。
 キッチンから、アツヤが出てくる。手には、湯気の立つマグカップを握っていた。彼は、こちらにやってくると、マキュアの向かいの席に座った。多くの空席の中からアツヤがこの席を選んだことをマキュアは不思議に思ったが、わざわざ指摘するようなことはしない。必要以上に口を開いて、言い争いをする気はなかった。もしそんなことになったら、穏やかな朝がますます台無しになってしまう。
 アツヤが、マグカップを口に運ぶ。マキュアはその様子を、頬杖をついてじっと眺めた。彼は、息を吹きかけてホットミルクを冷ましていた。念入りにその動作を行っている様子から、もしかすると猫舌なのかもしれない。意外だな、と思う。  マキュアの視線に気付いたのか、アツヤは訝しげにマキュアの方を見た。
「何じっと見てるんだよ」
「別に。飲むならさっさと飲みなさいよ」
 アツヤは小さなため息をつくと、ホットミルクを一口飲んだ。そして、少しだけ目を丸くして、言った。
「うまいな」
「当然。マキュアが入れたんだから」
 得意げにそう言い返す。アツヤの驚いたような素振りが多少引っかかったものの、自慢のホットミルクを褒められて悪い気はしなかった。それどころか、先程までアツヤを不愉快に感じていた気持ちが、すうっと消えていくように思えた。
「なあ」
 アツヤが切り出した。心なしか、その声色はいつもより真剣であるように聞こえた。ホットミルクを飲んでいたマキュアは、一体アツヤは何を言い出すのだろうと思いながら、次の言葉を待った。
「お前の本名、マキっていうんだろ」
 マキュアは驚いた。アツヤに本名を教えた覚えはない。隠していたわけではなかったが、知らない間に知られていたことに、マキュアは小さく動揺した。
「……なんで知ってるのよ」
「メンバー票に書いてあった」
 なるほど、と思った。メンバー票には、チーム全員のフルネームが書いてある。それを見れば、マキュアの本名もすぐに見つけることができるだろう。
 アツヤがマキュアの本名を知ったことはわかった。しかし、どうして唐突にそれを話題にしたのかマキュアにはわからなかった。ただ聞いてみたかっただけなのだろうか。それとも、何か他に意図があるのか。アツヤの目的を測りかねて黙ったままでいると、アツヤが再び口を開いた。
「どうして未だに自分のこと、マキュアって呼んでるんだ?」
 普通に考えれば何でもないような質問だった。アツヤにとっては、ただ直前の話題を展開させただけの質問に違いない。それでもこの質問は、マキュアを完全に動揺させるには十分だった。マキュアはそれを隠すために、必死に表情を変えないようにしながらホットミルクを一口飲んだ。
 いつものマキュアなら、こうして動揺を隠したまま「関係ないでしょ」と突き放しているような質問だ。しかし、今は何故かそんな気分にはなれなかった。ホットミルクの甘さとぬくもり、そしてさきほどアツヤにホットミルクを褒められたことで、マキュアの心は珍しく素直になりたがっていた。
「……嫌なのよ」
 ぽつりと一言呟く。よく聞き取れなかったのか、アツヤは怪訝な顔をして、マキュアの方を見た。マキュアは一度息を吸って、言葉を続けた。
「マキュア、自分の名前、嫌いだから」
 テーブルにマグカップを置く。小さくことんという音がした。白い水面が、マキュアの心の中と同じように揺れているのが見えた。彼女はそのままマグカップの中のホットミルクを見つめてアツヤと目を合わせないようにしながら、話を始めた。
「マキュアがマキだった時、マキュアはひとりぼっちだった。誰も、マキュアのことを見てくれなかったし、好きになってもくれなかった」
 お日さま園に引き取られる前のことを思い出す。もう何年も昔のことだったが、当時のことは今でも鮮明に彼女の記憶に刻み込まれていた。
 実の娘であるマキュアに対して愛情の欠片も抱いていなかった両親と、愛されていないことに気付いていながらも必死に両親にすがりついていた自分。幼い頃は、少しでも両親に気に入られようと、思いつく限りのいい子でいようとしていた。母親が「髪の長い人形が欲しい」と言えばマキュアは髪を伸ばしたし、父親が「笑顔のかわいいアイドルはいいなあ」といえば鏡に向かって何日もかわいらしい笑顔を作る練習をした。今になって振り返ると、非常に哀れで滑稽に思えたが、当時のマキュアは本気で両親の愛情が欲しかったのだ。
 しかし、マキュアの努力は無駄だった。彼女が髪を伸ばし始めて三度目の冬に、両親は彼女をお日さま園に預けた。マキュアはその理由を知らなかったし、知りたいとも思わなかったが、きっと自分のことが本当に邪魔になったのだろうということは誰にも聞かなくてもわかった。
 それでもマキュアは、お日さま園を去って行く両親の背中に、笑顔で別れの言葉を言った。その頃にはすでに、マキュアは上手に笑顔を作れるようになっていた。練習の成果だ。しかし、彼女の両親は最後までマキュアのことを真っ直ぐに見てくれることはなかった。それ以来、マキュアは両親に会っていない。今、両親がどこにいるのかもわからなかった。
「だから、マキュアはまだマキュアでいるの。マキに戻りたくないの」
 そこまで話して、アツヤがずっと黙ったままでいることに気付いた。彼にとってあの質問は世間話の延長のようなもので、こんな話を聞かされるとは思っていなかったのかもしれない。もしくは、いつも喧嘩ばかりしているマキュアが素直に自分のことを話していることに面食らったのかもしれない。
 そう考えると、急に恥ずかしくなった。
「マキュア、ちょっと喋りすぎちゃったかも」
 忘れて、と小さな声で続けて、ホットミルクを一口飲んだ。アツヤの方を見るのが気まずくて、目を伏せる。いつものマキュアらしくない行動に、アツヤが、そして何よりマキュア自身が戸惑っているのを感じた。
――こんな話、しなければよかった。
 マキュアは先程の自分の言葉を思い返して、臍を噛んだ。いくら気分が良かったとはいえ、いつも口喧嘩をしているアツヤに素直になってしまったことがとても恥ずかしく思えた。しかも、ただ素直になったのではない。自分の弱い部分を曝してしまったのだ。マキュアは、アツヤにはわからないように小さくため息をついた。
「あのなあ」
 黙ってマキュアの話を聞いていたアツヤが、口を開いた。マキュアは目を上げて、アツヤの方を見た。
「お前がマキだろうが、マキュアだろうが、お前はお前だろ」
 アツヤは、さらりとそう言った。当たり前で簡単なことを説明するような口調だ。
「お前がマキになったからってお前を嫌いになる奴、いねーと思うけど? 」
 少なくともここにはな、と付け足して、アツヤはホットミルクをごくごくと飲んだ。
「あんたも?」
 マキュアが唐突に問いかけると、アツヤはホットミルクをむせ返した。ごほごほと咳き込んでしまっている。落ち着くまでに少し時間がかかった。
「はぁ?」
「あんたも、嫌いにならない? マキュアがマキになっても、一緒に……」
 その先は続けることができなかった。自分がアツヤに何をいいたいのか、わからなくなってしまったのだ。たくさん言いたいことがあるような気がする一方で、何を言ってもマキュアの気持ちをうまく伝えられないように思えた。
 冷静に考えたら、こんな質問をしなくても、アツヤが現時点でマキュアにいい印象を抱いているとは思えなかった。顔をあわせれば喧嘩ばかりで、毎日言い争っている相手に、いい感情を持てるはずがない。
 それに、マキュアは初めてアツヤにあった時からアツヤが嫌いだったはずだ。今朝だって、アツヤには腹が立ったし、いらつかされた。だから、アツヤに嫌われたとしてもなにも問題ない。そう思おうとしても、アツヤに嫌われることを考えると、何故か胸の奥がちくりと痛むような気がした。
「なんでもない。気にし――」
「ならねえよ」
 結局何も言わないでおこうとしたマキュアの言葉を、アツヤが遮る。彼女は、アツヤの方を見た。太陽の光と同じ色をした彼の瞳は、まっすぐにマキュアを見ていた。マキュアがどう返事をしたらいいのか悩んでいると、アツヤはもう一度口を開いて、今度はもっとはっきりと言った。
「お前がマキュアじゃなくなっても、お前のことを嫌いにならない」
「本当?」
 小さな声で尋ねた。確かめるのが、怖かったのだ。しかし、返ってきたのはしっかりとした声だった。
「ああ」
「……ありがと」
 マキュアはそう言って、笑った。その笑顔に、アツヤも笑い返す。こんな気持ちでアツヤに笑いかけるのは初めてかもしれない。そう考えると、なんだか照れ臭くなって彼女はすぐに窓の外へと目を移した。
 遠くで、目覚まし時計のアラームが鳴った。二人は、壁にかかっている時計を見上げる。二本の針が、ちょうど起床時間を指していた。そろそろ、皆が続々と起き出してくるはずだ。この宿舎はすぐに騒がしくなるだろう。すでに、誰かが起き出してきたのか足音がいくつか聞こえている。あと十分もすれば、食堂にも誰かやってくるだろう。
 マキュアは、マグカップに残っていたホットミルクを一気に飲み干す。話している間に少し冷めてしまったホットミルクは、先程よりも甘くなったような気がした。